女川町誌
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陸上に及ぼす影響は前者の如くおびたゞしくはなかつた。山岳のくづれや地割れの如きもその数が少く、地震そのものの被害は仙台市で強震におどろいて心臓麻痺を起した者が一名、北海道石狩国弥生炭坑で地震のため落盤してその下敷となって即死した者が一名あったが、之に伴う津波こそ甚大な惨害をもたらしたのである。震嘯発生当日の天候昭和八年二月二十八日夜半から三月一日の昼にかけ低気圧は北海道を通過してオホーツク海に入り、又本洲南方の洋上を二個の低気圧相ついで東に通過した後、熱河(満洲)方面に高気圧線起り、一日夕刻の等圧線の走向は台湾から琉球内地に沿うて北東に走り、奥羽から北西に曲り黒竜江方面に向った。この傾向は三月二日から三日の早朝までつづいた。三月二日午後六時には高気圧の中心は依然として遼河方面あった。カムチャッカ南端には七五〇粍内外の低気圧が東進しつゝあった。三月三日午前六時に於ては高気圧の中心が稍や東に移動して朝鮮満洲の国境になり、低気圧はカムチャカ方面に一つと、支那東海に新に発生を見たのである。天候は一般に曇りであったが、北陸から北海道西部にかけ小雪が降り関東北部から北海東部に至る所謂「表日本」は晴天であった。しかし桃生郡より牡鹿郡方面にかけては小雪が降つていた。罹災戸数を町村別に見るに、わが女川町の五〇七戸が第一位であった。されどその九割強は浸水程度にして就中鷲の神・女川の二区は相接続して市街を形成し、商漁業を営むものが多く、津波の襲来によって店舗の表戸の硝子を打貫かれ、或は壁・畳等を汚損されたものが大部分を占めていた。二、石巻測候所の観測795

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