女川町誌
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〃一六、四〃一七、七、一六〃一七、一二、八 〃二○、八、九 〃二○、八、九 〃二一、三〃二一、四、一五〃二一、四、二五〃二一、八、五 〃二一、九、六 横浦山林火災女川浜二の一区住宅、水産加工場・物置・納屋・馬小屋四棟全焼駅前通附近より出火、同事務所・倉庫・住宅二棟全焼、原因損害不明空襲による火災、女川浜庄司新蔵氏宅外七戸、駅前三戸全焼、何れも焼夷弾のため江島住宅三戸全焼鷲神浜北二区より出火住宅二棟全焼、原因残火の不始末浦宿浜住宅一四戸全焼、原因列車火粉飛散のため町内上架中の新船一隻全焼、原因残火の不始末宮城罐詰女川工場火災、工場一棟全焼、原因油ボロより引火女川浜大原山林(相馬鉄平氏所有)火災、用林立木約五町歩焼失原因損害不明〃二二、一一、一 〃二四、六、一〃二六、二、三〃二七、八、一七〃二九、一二、七 〃三○、二、二六〃三○、二、二六〃三○、一二、一五 〃三○、一二、二七鷲神浜西一区工場及住宅一棟七〇坪全焼、原因ストーブの過熱、損害不明尾浦浜製材所より出火、住宅三八棟、非住宅三六棟全焼、原因放火、損害一億二千万円駅前加工場より出火、隣家の住宅二棟、丸通事務所倉庫等計七棟全焼、原因かまどの不完備石浜住宅、倉庫一三八全焼、損害約六八四万円桐ヶ崎山林火災、三、〇〇〇坪、原因子供の弄火、損害不明鷲神浜南二区水産加工場から出火同工場全焼、住宅半焼、隣家住宅及加工場全焼、原因不明、損害四〇〇万円なお明治四十二年以前に於ける火災については省略することになつたが、この時代に於ても大小の火災が繰り返されていたものと見られる。明治維新以前における火災については次の様な記録もある。1「宝暦七年丁丑七月二十九日、牡鹿郡女川浜火事あり、倉庫三棟塩二千九百余苞・家百三十八宇焼失」とある。 2「寛政十二年四月二十五日、浦宿浜出火に及び壱軒残り火難仕候、惣村残り無く候」とある。(勇蔵日記)3「享和三年四月十六日「浦宿照源寺火難に及び家数六軒相やけ申候、山門斗り残り候」などの記録がある。鷲神浜上一区(木造店舗一坪半)半焼、原因コンロ過熱、損害一万五千円桐ヶ崎山林火災、山林三三〇坪焼失、原因通行人の煙草の吸殻高潮被害、護岸決潰、損害一億三千万円769
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