女川町誌
819/1094

仙台藩に於ける警察に関することは、大体幕府の施設に準じたものであつた。先ず藩政の要職を司るものを奉行と称し、文武一般行政担当のものが六人、財用方取とり切きり奉行一人で、奉行の下に若年寄七人を置いて庶政を監督させた。評定役及び評定所役人は司法のことを司り、大番頭・町奉行(二人)・物書(三人)・検断・肝入は之に属した。また祭祀奉行・屋敷奉行・御証文預主立(五人)等も之に属した。財用方奉行の下に出入司(五人)があり、内金穀取切奉行財政経済を司る郡奉行四人(南方・北方中奥・奥)勘定奉行・知行割奉行・金山奉行・山林奉行・作事奉行・納戸元締等が之に属した。また若年寄司配には小姓組番頭・小姓組頭・奥小姓・組表小姓組等の組頭及び士目附・医師・武頭・兵具奉行などが之に属したのである。第二節明治以後の警察一、本県警察の沿革明治四年七月十四日、廃藩置県の詔があり、仙台藩は藩を廃して仙台県を置いた。県庁に庶務課・聴訴課・租税課・出納課の四課をを設け、その聴訴課に於ては司法関係の事務を取扱つた。翌々六年七月、警察署の前身である巡羅屯所を、第一大区仙台南町に巡羅出張所を第七大区牡鹿郡石巻に創設した。当時後ちの巡査を羅卒(らそつ)と称し、その多くは旧藩士から採用された。同八年四月には巡羅屯所を警察出張所と改称し、第一警察出張所を仙台南町、第二出張所を古川駅、第三出張所を石巻駅、第四出張所を大河原駅の四か所に設置した。この年仙台に宮城裁判所が設けられた。749

元のページ  ../index.html#819

このブックを見る