女川町誌
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第六編警察・消防第一章女川町の警察第一節明治以前の警察一、本邦警察の沿革わが国の上古の警察については、全く明かでないが、今日いう所の警察事務の中、宮門の警衛という様なことが物部・大伴・久米部・佐伯部等の人々によつて行われていた。これは中央のことで、地方の警察は氏族制度の組織下に、恐らくは氏うじの上かみまたはその代理者の手によつて行われていたことと想像される。その後支那大陸の文明が輸入せられ、大化の改新によつて八省百官が置かれ、ついで大宝令の制定を見るに至つて警察のことも稍々判然とした。即ち令の制度によれば衛門府・左右衛士府・左右兵衛府等によつて、車駕・宮門・京都などの禁衛が行われた。なほこの外に風俗を粛正し、京都内外の非違を糾弾するものに弾だん正台じょうだいがあつた。しかしこの令の制度は大陸制度の模倣であつて、わが国の実情に適さない所が多かつたので、平安時代に入り検非違使庁が置かれることになつた。これは衛府の追補・弾正台の糾弾の両権を併せ有し、この外訴訟・裁判をも司つた747

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