女川町誌
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を与えることを目的とすると規定している。第二節女川町内の神社一、女川町内に奉祀する神社大洋に直面し、屈曲出入の多い港湾に臨んでいる女川町の各浜は、古来住民の多くは漁業を主な生業とし、海洋を唯一の活動舞台としているので、自ら神仏を尊崇する念が強いようである。しかのみならず海によつて他地方から移住して来た人々や、漂流によつて偶々当地方に落着いた人々の数も少くないので、是等の人々は新大地に氏神等を勧請して生業にいそしんだものと見られる。従つて各浜に祀られた神社の数も極めて多い。今より約百八十七年前に書出された安永風土記の神社に関する記録を見るに、女川二十浜(鷲神を欠く)に当時祀られていた大小各社格の神社の数は、実に百十一社に及んでいる。即ち浦宿の十三社を始め、桐ヶ崎(一〇)出島(九)尾浦(八)塚浜(七)女川(七)石浜(七)宮崎(七)野々浜(六)江島(五)針浜(四)竹浦(四)横浦(四)小乗(三)高白(三)大石原浜(三)飯子浜(三)御前浜(二)という様な状態である。もとよりこの数の中には氏神もあげられて居るものと見られる。昭和十六年一月、 宮城県学務部社寺兵事課に於て調査した女川町内の村社以下の神社の数は二十四社となつている。その社格・神社名・祭神・例祭日・氏子数・総代数及び神職氏名は次の様である。728
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