女川町誌
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と地位の関係からでた対照的呼称であつたと思われる。服従させられた集団の神は後世に於てはしばしば悪神の性格さえもつようになつた。このようにしてアマテラス大神は他の集団の神々達の上に君臨するようになつたのであろう。民間の神々の間でも次第に相互の接触と交渉が生じ、仏教の教理なども採りいれられて粉飾したりしたので、いわゆる神徳がやかましく宣伝せられるようになり、長い歴史の経過の間には神々の栄枯盛衰もはげしかつたのであろう。神にも集団本位のものと、個人信仰にもとづくものがあり、前者には族の神・村の神などに分れて、それに氏神や鎮守神などが含まれ、後者は霊威の神・霊地の神・雑信仰的な現世利益の神などに分けられ、御霊・地神・荒神・恵比寿・大黒・水神・火の神・道祖神などが含まれている。族の神の中でも皇室の神(伊勢神宮)は最も大規模な祭祀団を構成し、それも中世になるまでは一般人民の参拝は許されずに完全にとざされた族団の神格であつたのだが、国家思想の展開とともに多くの伝道師をつかつて、国民の間に信仰をひろげていつたので、これが仏教からきた祖先崇拝の教説と結びついて、つい最近まで国家の宗教とされていたのである。日本人の信仰に関与するあらゆる宗教は、すべて直接または間接に祖先の祭祀を取扱わぬものはない。氏神信仰の典型的な形はこれであり、仏教寺院のはたらきも大半はこゝに求められる。一口に祖先崇拝と言つても、その中には始祖・始祖霊・祖神・死者・死霊などの観念がまじりあつている。そして一様にホトケと言う要素によつて死者と先祖とを混同しているもので、この祖先崇拝は血縁意識による氏族の結合、または大家族集団の成立と関係があり、地域の維持に大きな役割を果してきたのである。また祖先崇拝の形の上でのあらわれは、火を神聖視し、火の継承であるヒツギと言う形または神霊と子孫との同火共食が、祖霊をまつる上に欠くことの出来ない条件であること等にあらわれている。また死霊や精霊と言う死者に対する恐怖と愛情の相反する感情から分化したものは、元来一つの根から723

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