女川町誌
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第五章女川町の社寺第一節神社仏閣に関する制度一、神と祖先崇拝日本の学者の間でも神についての研究や論議は、相当古い時代から行われて来たが、何れも思弁的色彩が濃く、常民の実生活に基いて立論したものは殆どないと言われている。古事記・日本書紀などは有力な文献であっても、作られた事情からして、政治意識が極めて濃厚な書物であるから、 そこから実際生活の資料をさぐり出すのは容易でない。古典には八十万の神、八百万の神と言う語があつて、日本人にはきわめて多くの神があつたといわれる。しかし巨大な権威をもつて信仰の統制を強行しようとした上代の朝廷にとつてこそ意味のあつたものを、そのまゝ民衆の生活におよぼして考えることは出来ないことであろう。民衆の間にはタマやモノ(モノノケ)が至る所で活潑な活動をしていたであろうから、カミは族長や邑長の権威をバックボーンとして、もつと公的な、威厳のある性格をもつていたと考えられる。従つてカミはそれを戴いている集団の性格や、力を単的に反映していた。これら多数の集団が戴いている神々の中でも、アマテラス大神はそれを祭る大和朝廷の勢力の伸展とともに、祭祀圏を拡大し、その神格を充実していつたものと思われる。アマツカミ・クニツカミ(天神地祗)と言われるのも、朝廷とその勢力下にある集団722

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