女川町誌
78/1094

三畳系の地層は牡鹿半島地方に於ては、牡鹿層群としえ稲井層・小乗層・大沢層・女川層・平磯層・小島層があげられ、地層の分布とその複雑さとを現わしている。牡鹿半島の地質中、特に女川町に関係ある部分を、東北大学教授渡辺萬次郎博士の調査に基き、その大要を述べて見よう。三畳系即ち三畳紀層は、稲井石と通称される記念碑用の砂質粘板岩層、砂岩と粘板岩の互層、女川石といわれる灰黒色屋根瓦用の粘板岩の順序を以て褶曲して、本地域の北西半の大部分を構成している外に、出島の東半部等にも露われている。そして地層を横切る極めて著しい節理によつて、稲井石は厚板状に、女川石は薄板状に容易く割れる状態になつている。これ等は往々三畳紀下部の化石を含んでいる。この他桃の浦附近や折の浜から針浜にかけて、三畳紀層を細長く被うものがある。花崗岩類は主として金華山を構成し、詳しくいえば閃雲花崗閃緑岩に属し、その西縁部は片状を呈して黒雲母片岩中に貫入している。これ等の岩石はまた北方海上に浮いている江の島列島の足島などにも露われている。なお女川町の南方望郷山、大六天山南斜面、光山等には花崗閃緑岩乃至閃緑岩の露出を見、その一部分は閃緑玢岩斑粉岩に移化する斑粉岩は、また江の島列島中の笠貝島を形成している。女川金山(高郷山)女川町小乗浜南山地などで、閃緑岩と中生層との界を貫く緩斜の含金石英脈を、昭和産金奨励時代に採掘製錬混汞搗鉱設備によつて、屢々大金粒を得たこともあるが、昭和十八年の整備以来、再開の企てが進捗していない。また針浜鉱山・女川浜・針浜南方で、玲岩岩脈に伴う石英脈を掘進したが、発展を見ないまま放棄されている。次にスレート山、屋根瓦用粘板岩石切場で、女川町石浜北方から同御前浜西方そして雄勝町浪板西方を経て、同明神西北に至る一帯に沿つて山頂山腹の到る処に大小の露店掘が試みられ、その廃石は谷間に充満して天然の景観を変16

元のページ  ../index.html#78

このブックを見る