女川町誌
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わが国の各大学には、附属臨海実験所があつて、夙に沿岸生物の研究を行つているが、東北大学に於ても青森県の浅虫に臨海実験所があり、従来種々の有益なる研究が試みられて来た。しかし、この実験所は他の純粋な生物学的研究を主とするものとは趣きを異にし、特に海洋学・化学・生物学の綜合的研究機関を設置する事が重要であるとの見地から、先ず化学教室の箕作新六・林喬両博士の提唱尽力によつて、化学教室附属の海洋水産化学研究所が昭和八年四月に創立された。ついで昭和十年には宮城県女川町小乗浜に研究所が建てられて、同年四月に開所式を挙げ愈々本格的研究に入つた。爾来化学室の藤瀬新一郎・富永斉両教授が主体となり、生物学教室の野村七録・朴沢三二両教授等の協力を得て研究が続けられて来た。その後昭和十四年、東北帝大に農学研究所が設立せられた時、この附属水産実験所を此所に併置する事となつた。そこで研究室や宿舎を増築し、護岸工事を行い、且つ多年の念願であつた調査船を建造し、女川実験所は名実共に海洋・化学・水産の綜合的研究機関として其形態を整える様になつた。尚昭和二十二年に至り東北大学に農学部が設けられた際、これを附属実験所として継続利用する事となつた。二、実験所の位置と環境牡鹿半島の西側から渡波町を入口として湖の様な万石浦が拡がり、一方東側から女川湾が奥深く湾入して居る。その最奥部にある女川は天然の良港で、大きな河川の流入が無い為め埋没の危険も無く、周囲の山地は急傾斜で海に入つているので深度が大きく、一万噸以上の船も楽に入港する事が出来る。この様に良港としての条件を具えて居るに関らず、陸上の交通が不便であつた為に、従来地方の一漁村として存在していたに過ぎなかつた。然るに女川線鉄道の開通によつて交通輸送の便がよくなり、町は面目を一新して、良港の少ない東北地方の太平洋岸にあつて、漁港として703

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