女川町誌
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か皇恩に浴せしむるの道を講ぜざるを得ざる窮極に立ち到たるものなり。今若し両分教場を併合して独立国民学校を設置せんか、其の児童数は郡内田代・寄磯・谷川・出島・江島等に比すべく、而かも六区の将来は益々人口増の可能性多き点に於て前記六校の学区に比すべくも非ず。田代一九八、寄磯一一二、谷川二八二、出島二八三、江島二五二、依つて昭和十八年四月より独立国民学校を新設して高等科修学の杜絶を防止し、併せて両分教場児童に対する教育力の滲透を向上せしめざるべからず、之れ本建議書を提出する理由なり。昭和十八年三月一日町会議員木村上町会議員阿部武雄〃木村要助〃木村慶治郎〃木村寅治郎〃木村忠雄〃木村正雄〃木村庄左エ門〃阿部喜惣右エ門〃庄司新蔵〃丹野貞蔵〃平塚良作〃平塚文蔵〃遠藤忠治郎〃遠藤七五三松〃鈴木喜六〃植木新作〃阿部源治〃阿部幸七〃木村文吉〃須田清蔵〃浜野弥宗〃木村寅太郎〃阿部長七女川町長同町会議長須田金太郎殿女川第六小学校沿革年月日沿革事項明治六第七大学区第二中学区九十九番横浦小学校と称し、飯子・塚浜に支校を設置す同一三第三中学区第九十九番小学区横浦小学区横浦小学校と改称す同一五横浦初等小学校と改称す同二〇、八浦宿初等小学校横浦分教場・飯子分教場と夫々改称す同三九、四女川尋常高等小学校横浦分教場並に塚浜分教場昭和一六、四女川国民学校横浦分教場並に塚浜分教場と改称す同二〇、四、一女川国民学校横浦分教場及塚浜分教場を廃止し独立校五部浦国民学校を開設す同二二、四、一女川町立五部浦小学校と改称す同二二、四、一女川中学校五部浦分室を併置す同二六、二、二八 新校舎を現地に落成す690

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