女川町誌
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同年五月、尋常科卒業生のため本校に温習科を設けた。同年九月、本県訓令第七十五号を以て小学校及び小学簡易科生徒操行査定法を定めた。同年十一月、本県令第八十一号を以て小学校・小学簡易科に於ては、平素薫陶したる生徒の忠君愛国の志操を確実ならしめんがため、天長節・紀元節・一月一日には拝賀式を挙行すべき旨が達せられた。同二十二年一月、本校教員の扣処と庭口の壱棟を増築した。同二十四年六月、文部省令第四号を以て小学校に於ける祝日大祭日の儀式に関する規程を定めた。同二十五年七月、当小学簡易科を廃して尋常科を設けた。同年六月十九日、船越本県知事本校に臨み、親しく授業を視察せられた。従来の校舎は敷地教室共に設備上不完全なるのみならず、校舎が頽廃し持続の見込がないので、明治三十八年九月大網大漁を好機とし、女川村長足立秀久氏・校長鈴木忠七氏と区内主なる有志者等が協議の結果、日露戦捷記念事業として校地移転改築の事に一決したので、同三十九年三月工事に着手し、同年七月竣工したので移転し授業を開始した。工費金額弐千四百余円、内弐百四十余円は村税より支出し、金弐千百六十円は区民の寄附によつて賄われた。当時の改築委員は区長沢村大左衛門・村会議員斎藤幸七・同木村勇五郎・木村寅吉・浜野源太郎・浜野弥惣吉・木村栄治郎・宮元伊勢蔵・沢村寅蔵・斎藤伊勢蔵・斎藤幸之亟・小山甚四郎・山本八右衛門等の諸氏であつた。工事受負人は稲井村渡辺数馬氏であつたが都合により中途で引き上げたため、残工事を高橋七四郎氏に請負わせて竣工せしめた。同四十一年四月、義務教育は六年に延長実施された。同年十月新築落成式を挙行した。当日の臨席者は次の様な人々であつた。本県視学宮崎公男(知事代理)本郡長清野喜左衛門及び郡水産技手高橋作677

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