女川町誌
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この年度会費月二五円職員の生活補助現金七、七〇〇円を、四、五、六月まで支出したが、以降は職員の待遇の漸次一般官公庁なみに引上げられる様になつたので、自主的に辞退された。社会教育実業団は各区にありて十五才以上四十二才までの少年・青壮年者を会員とし地方開発に努めた。青年団は青年団の趣意によつて活動するとは言い、地方に於ては数百年前からの講社で、神風講と言つて祭礼の担当及び相互の親睦を旨とし、隣保相扶け合うことを目的としているものがあるので、これが勢をふるつていた。だが時勢の進運は到底これに満足する事が出来ず、規約を設け目的外に更に青年補習教育の援助、風紀改善(賭博禁止)納税の整理・部落改善等校長津田乙治氏の首唱する所に従いこれを実行する事にした。大正四年九月文部・内務両大臣の訓令に基き、同五年一月二日女川青年団が組織せらるゝに当り、第七支部として更新の気に向い今日まで続いてる。女子青年団は大正十一年処女団として設立したか、各区に独立した女子青年団として活動した。然し時代の要求はこれで満足せずに昭和六年五月出島女子青年団となり、団則を改正し内容の充実を期し、着々其の効果を現わしなが672

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