女川町誌
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有家族二〇〇円主食補給米二斗、麦一五斗、馬鈴薯八三貫、甘藷九七貫、平均一人当り三斗三升⑶オルガン、新設費九、八五八円⑷目下の状勢ではガラス入手困難なため、とりあえず板戸をとりつける。全教室にストーブ用煙突と新設ドラムカンストーブ四基を設備した。(経費五八、一二六円内二六、五〇〇円は町より支出)何れもPTAの英断で会費と特別寄附とによつて賄われたものである。職員の異動定員七名、新入四名、退職一名、転任三名昭和二十三年度学校長他二名で始業式と入学式とを挙げる。丁度世界第一次大戦後一寸した期間ではあつたが、教員の転職が続出しその補充に困つたそうだが、なお今日の困り様は全く言語に絶するものがある。地方の教育に対する理解とは卒直にいつて読み書き、そろばんの上に出ていないのではあるまいか、従つて教師は誰でも間に合うといつた考え方であり、事実今日の教員としての素質には大きい疑を持たざるを得ない。その上住宅問題故に本校に就職希望するものがない、四月下旬学校の貧困を見かねて本校に教鞭をとられた阿部はつね氏に懇請出馬していたゞく、浜は近年にない不漁にも拘らず会長・副会長その他役員の賛同を得て、学校住宅として八畳一室を増築した。また、寺間公会堂を借用して内部を仕切り、八畳三室と六畳一室とを造つた。十一月中旬着工、一月初旬竣工、工費約一二〇、〇〇〇円。671

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