女川町誌
739/1094
また校門は豫ねてから学校当局の希望する所であつたが、皇太子殿下御誕生を記念として、出島・寺間両区実業団が之を建設して寄附した。当時の出島の実業団長は須田登氏で、寺間の実業団長は阿部健三郎氏であつた。また、同九年四月出島青年団と寺間青年団とが聯合して玄関前に国旗掲揚柱を建設し、国民精神作興に資し、皇太子殿下御誕生の奉祝記念とした。昭和十六年四月一日出島国民学校と改称、同十九年三月三十一日学級増加認可初等科各学年一学級計六となる。高等科各学年一学級計二となる。昭和二十年度八月九日午後四時五〇分―四時五六分に敵の機銃掃射を受ける。八月十日午後四時―より約十五分間またまた機銃掃射と小型爆弾の投下を受けた。八月十五日休戦ポツダム宣言受託十二月二十八日御真影を返還昭和二十一年度二月一日より約二週間に亘り、職員児童生徒並に両区青年団員出勤して奉安殿の取除作業に当る。空襲修理前年八月の空襲でいためられた屋根・スレート及び床板の修理、両区分担(一、〇〇〇円寺間五、〇〇〇円出島)転職教員続出669
元のページ
../index.html#739