女川町誌
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女川第二小学校父母教師会長第三節女川第三小学校尾浦小学校(女川第三小)本校の創立は明治六年五月廿日で、当初は第七大学区第二中学区百一番石浜小学校として発足した。当時の校舎は護天山保福寺を以て充て、遠藤重吉氏が仮教師となり教授を開始した。教員二名、生徒二十九名、学科は読書・習字の二科目で、教育は寺子屋式であつた。後ち校舎を尾浦に移したので、尾浦小学校と改称し、白石与雄氏が教育に当つた。当時の通学区域は尾浦・竹浦・桐ヶ崎・石浜・宮ヶ崎・御前浜・指ヶ浜の七区で、生徒数は九十名であつた。明治十七年には分離して、尾浦小学校の本校を保福寺東南の高台にある行屋に移し、支校を竹浦と御前浜とに置いた。同二十年には校舎を行屋跡に新築し、竹浦と御前浜の支校をそれぞれ出張所とした。同二十五年に至り小学校令661

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