女川町誌
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第二章女川町の小学校第一節女川第一小学校浦宿小学校(女川第一小)本校は現在女川第一小学校と称し、女川町浦宿区の門前に設置されている。創立は学制頒布直後の明治六年四月廿五日で、第七大学区第二中学区百番小学区浦宿小学校と称した。当時の生徒数は五十六人、学科は読書・習字・算術の三科目で、秋山泰寛氏(後ち明治九年宮城師範下等小学科卒業)が仮教師としてその指導に当つた。明治八年八月官立宮城師範学校を卒業した全先清纓氏が、石巻小学校訓導に任じられて該校の校務を統理したが、(後ち石巻小学校長となる)同時に浦宿小学校の校務をも統理した。同十二年三月三十一日には官立宮城師範学校小学師範科を卒業した立花泰隣氏が本校初代校長として就任し学校経営に当つた。同二十年二月には部内を二学区とし、本校は第二学区に属して浦宿尋常小学校と称した。なお沢田・横浦・飯子・女川・石浜の五か所に分教場を設けた。同二十二年六月二十六日の女川村議会の議事録によると、次の様な女川村小学校設置及維持方議案が決議されている。651

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