女川町誌
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をする。斯様な時は老学校長と雖も、開襟カーキ色金ボタンの制服にカーキー色のフランス帽をかぶりゲートルをつけ、査閲官に軍隊式の態度言語で報告をしたり復命したり、演習の時は生徒について雪の中も徒歩するのが普通であつた。斯様なことは小都市農漁村殆ど同様であつたが、女川町に於いては海浜の学校は漁船に乗る者が多くて就学率が悪く、止むを得ずその漁船に指導員を乗組ませて、上陸地の学校庭にて教練を施し、或はその学校長に修身公民科の授業を乞い証明書を貰つて来るなどのこともあつた。女川小学校区域には斯様な悩みは少ないが、業種別が多岐に別れているし、農村のような一定した休日がない為めに、指導者が父兄勧誘とか了解工作とか並大抵なものではなかつた。当時の小学校教員は本務より兼務の方が骨が折れるとコボしたものである。650

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