女川町誌
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もない住宅住いの他地方から移住した者が多い。新開地であるからである。そこでこれでこれ等の子供に植林を行わしめて、児童等自身の造つた郷土を持たせたい。一生の思出を造らせたいと言うことが一つ。次は女川には山が多い植林思想養成の一助ともしたい。第三は二千六百年祝典記念事業の一として学校林を造り、将来女川小学校改築の資材としたいという考から、十四年十五年十六年と三か年に亘り約八千本の松苗を植樹した。五尺間隔に植えたのであるから二町歩位はあろうと思われる。一部枯れた所もあるが大体順調に生育している。三、青年学校の教育農山漁村には明治時代から実業補習学校があつて高等小学校に代り、且つ実業科目に重点を置く施設をしたものがあり、又夜学だけで簡易な教育をしたものもあつたが、何れも主として小学校教員の兼務であつた。やがて高等小学校に代る施設は大方高等小学校となり、高等科に入学せぬ者及びその卒業生を以て夜間教育するのが殆んど実業補習学校ということになつた。大正十五年青年訓練所令が施行されてからは、多くの地方は両者併立して実業補習学校では学科、訓練所では軍事訓練を教育することになり、昭和十年青年年学校令により八月から之を統一して、女川町に於いては四つの尋常高等小学校に之を附設したのである。而して徴兵検査前の青年は殆ど義務教育の如くこの制度につながれ、一定時間数の学科と教練を受けねばならない。徴兵検査には町村長・在郷軍人分会長・青年学校長が立会して修身公民科及び国語数学の試験を受け、訓練手帖を提出して徴兵官の前に立ち質問応答が行われる。真面目に時間数をかせいだ者はほめられ、なまけた者は脂をとられる。これが青年にとつては大なる関所であるから、この検査前は緊張した生活を送つたものである。尚教練については一年に一回中佐級の軍人が来て厳格なる査閲を施行し、講評を行い指導員たる在郷軍人に注意を与えたり、賞辞を与えたりする。又一学校単独に又は附近数校連合して演習649

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