女川町誌
718/1094
本を設備して屢々校内体操会を催し、其の活用と体操教育の振興を図り、一面望郷山道路を開設して毎月二回団体登山を実施した。 4、甚だ貧弱な理科の設備中にあつて、化学に属する実験は昭和十三年より殆ど児童をして実施せしめた。 5、少年団 昭和十三年より戦時教育として又県教育是具体化の一として特に力を注いだ。 A、組織部落少年班を基本とする。これは部落居住教員が指導する。男女別通学区別、上学年の者が班長、各班が集合して女川小学校少年団となり、団長は学校長、副団長は首席訓導 B、目的 自立自営、勤労愛好、長幼相助団体行動の訓練、 社会奉仕銃後奉公の訓練 C、実施したる主なる事項 ㈠通学は班別に整列して ㈡長期休養中は班別に復習会・体操会・遠足等を行い、又 軍人慰問費を働き取る。 ㈢戦死者の墓地掃除及び墓参をする。 ㈣遺族に慰問品贈呈(主に草花・竹箒等) ㈤年二回出征軍人に慰問状を出す。 ㈥道路の掃除と小破修理を奉仕する。 ㈦繁忙期に遺族家族に仕事の手伝をする。 6、支那理解の教育施設 一室を設け出征者より贈られたる中国の物品を陳列し、職員児童生徒の教育に資す。主なる物は児童書方・図画・綴方・手工等の成績品的百点。教育制度パンフレット・教授案・教育雑誌。この中には辱耻記念日記事というのもあつた。日本の不法や浸略を書いた排日パンフレット四種、抗日と刻印ある青竜刀等その他 7、昭和十四年望郷山に祠を建てゝ明治神宮の霊を祀り、出征者の武運長久祈願を春秋二回施行し、同十六年十二月照源寺に忠霊塔を建立して、 日支事変以降の戦死者の霊をまつつた。これ等の事業は職員児童の労力と勤労作業等の収入によるものである。 8、陰暦十二月十四日までに義士銘々伝講話をなし、当日午前二時雪を蹈んで、五年から高等二年までの登山を毎年挙行し士気を鼓舞した。 9、望郷山植林 女川小学校の児童には鷲神・女川・石宮等農地又は庭園等を所有して居ない家庭が多い。借家住いか、庭 648
元のページ
../index.html#718