女川町誌
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第三節地方教育の実情一、戦前の地方教育第一次欧洲大戦終るや、デモクラシーの思想が米国から怒濤の如く寄せて来て、自由平等が一般社会を風靡し、教育界に於ても自由主義の教育・個性尊重の教育・自学主義の教育・自由画・童謡等が華やかに登場し、極端であると評される学校すら所々に生れる時代となつた。昭和六年十月三十日教育者に次のような勅語を賜わつた。健全ナル国民ノ養成ハ一ニ師表タルモノノ徳化ニ竢ツ、事ニ教育ニ従フモノ其レ奮励努力セヨこれで反省する所多かつたが、又同年満州事変が起り、同七年五・一五事件があつてから軍部の政治に対する発言力が一層強くなり、国粋主義政治家、同主義学者の同調もあつてデモクラシーの思想は次第に低調となり、昭和九年四月三日全国小学校長を皇居前に召され、次の勅語を賜わつてからは国民道徳の振作は強力となり、デモクラシーの思想は益々低調となつた。国民道徳ヲ振作シ以テ国連ノ隆昌ヲ致スハ其ノ淵源スル所実ニ小学教育ニ在リ、事ニ其ノ局ニ当ルモノ夙夜奮励努力セヨ。かくて昭和十年の二・二六事件を経て十二年の支那事変勃発となるや、教育界は挙げて国策遂行の方向に向い、日本精神を説き八紘一字を唱導し敬神崇祖を鼓吹し、本県に於いては学校長が神社仏閣に宿泊修練を受け、兵営に宿泊し軍服を着用して数日間の軍事訓練を授けられたものである。644

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