女川町誌
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は、昭和十六年以来のことである。当時、世界は自由主義と全体主義の二大思想に対立していたが、我が国は、独伊の二国と共に後者を信奉する国として、やがてその年の十二月八日、米英に宣戦して第二次世界戦争に突入したのである。然るにこの大戦の終結と共に連合軍の占領治下となり、その最高司令官マッカーサー元師の要請によつて、昭和二十一年、三月米国教育使節団が来朝し、日本の教育改革に関する注意深い研究の結果、その報告書として、連合軍最高司令官へ提出され「日本の従来の教育制度は高度に中央集化した十九世紀的様式に基づいたものであつて、一般民衆にはある型の教育を、そして、特権少数者には他の型の教育を施している」と評され、非民主的な二元的(中学校系統・実業学校或は補習学校系統)なものであつて、すべての人に教育について均等の機会を与えていないことを指摘された。そして「われわれの勧告したいことは小学校の次の三か年のために、すべての男子及び女子にたいし、下級中学校を設け、基本的には同じ型の教課程を全生徒に教えはするが、個人的要求に応じて適当に修正できるようにすることを我々は勧める(個性指導・選択教科の根源)その重要な目的は、小学校の目的と同じようなものであるべきであり、特に強調さるべきところは人格の向上と公民資格と、そして団体生活ということであるべきである。この学校には職業の分野に関する探究的性質をもつたある種の機会が与えられるようにされねばならない。われわれは、この下級中学校への通学を、三か年あるいは満十六才になるまで義務教育にするように勧めたい。これらの〝下級中学校″は授業料を免除されるべきである。それらは、事情が許す限りできるだけ早い機会に男女共学にならなければならないのであるが、その理由はその有する原理が、この学年においては、小学校におけると同じように男女に適用が可能だからである。なお「……われわれは授業料を微収せず、そして通学を希望するすべての人たちに開放された640

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