女川町誌
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当時宮城県管内の中小学校の配置計画は次の様であつた。管内総戸数六万六千九百七戸人員四十万六千百三十九人十三万人へ一中学建設の積りを以て地の便宜に随い三中学区に分つ第一中学区城下を以て中学の所とす城下、宮城郡同国分黒川郡加美郡第二中学区志田郡古川を以て中学の所とす志田郡(南北)遠田郡(南北)桃生郡(南北)同深谷、牡鹿郡第三中学区伊具郡角田を以て中学の所とす名取郡(南北)柴田郡、刈田郡、伊具郡、亘理郡、宇田郡之内中学区二百十小学の割を以て三中学区へ六百三十小学創立可致の処、管内十九大区二百三十小区何れも疲弊を極め出金調い難く、一時に建設相成兼候につき、先以て一区に一小学を建て、餘は漸を以て六百三十の数に充候様可致当分左之通第一中学区小学校六十四か所第二中学区小学校百三か所第三中学区小学校六十三か所合計小学校二百三十か所三、女川町最初の小学校女川地方乃至牡鹿郡は、第七大学区第二中学区に属し、当時女川地方には左記の様に横浦始め浦宿・石浜・出島及び江島の五か所に小学校を開設した。第七大学区第二中学区陸前国牡鹿郡第九十九小学区横浦小学校明治六年五月廿日開校教員二名生徒二十五人内男十六人女九人第百小学区浦宿小学校明治六年四月廿五日開校636

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