女川町誌
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第五編教育・宗教第一章女川町の教育第一節明治以前の教育一、寺子屋教育の発達明治維新前に於けるわが国の教育は、幕府や藩主などの文武教育と、一般庶民の寺子屋教育との二つの教育機関に大別することが出来る。寺子屋教育は始め寺院で寺僧が、その教師となつて指導にあたつたので、その名称がある。その起源は遠く鎌倉時代に発しているが、一般庶民の教育機関として普及したのは徳川時代のことである。わが仙台藩に於ては、五代藩主伊達吉村公の時代元文元年(一、七三六)十一月、仙台北三番丁に始めて学問所が開設され、七代藩主重村公の時代に養賢堂と称し、封内の賢材を集めて教育を施した。この学風が地方にも影響して涌谷に月将館・松山に大成館・亘理に日就館・角田に成教書院などの学問所が開設された。また、一方には各村落に寺子屋教育が勃興し、日本教育史資料によると、全国に於ける寺子屋の総数は一五、八六631

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