女川町誌
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関係の業を営む戸数は実に九八三戸の多きに達し、明治初年の三倍強となつている。同時に産業編の漁業の章に於て詳述している様に、漁業技術の進歩発達につれ、女川町の水産業は著しい発展を遂げつゝある。かくて前面に広大にして豊富な漁場を控えている女川は、近時鉄道の開通に伴い、整備された漁港施設と相俟つて、各種の水産関係の工場や会社が誘致され、名実共に三陸沿岸の有数な漁港、水産工場地を形成した。言うまでもなく現在の女川町は、無尽の水産資源とその経済力に富む水産地―漁港の上に、健全なる町政が営まれ、地方財政が確立されているのである。二、町当局の施政方針本町は明治二十二年に村制を実施して以来、町村長の代を重ねること二十一代、十人に及んでいる。代々の町村長や職員は、一致協力、村造りに精通して来たのであるが、特に本町の在り方として港湾の修築、漁港の建設ということが一貫したその眼目であつたので、代々町村長の施設方針はこの点に集中され、従つて町の財政もこゝに絞られていたというも過言でない。次に二十一代町長木村主税氏が、昭和三十年度の予算審議を求めるに当り、町議会に説明した施政方針を掲げて見よう。具体的施策としてあげている一項商港修築工事の完成から、一〇項臨港鉄道布設の促進に至る十項目は、総て港湾並に道路に関する施設を要求したもので、村造りの基本方針が明かに窺われる。木村町長施政方針本日玆に昭和三十年度予算審議を求むるに方り、細部については予算案によつて説明することゝし、先づ施政の大綱を述べ、各位の御協力を仰ぎたいと存じます。本町は東北に於ける優秀なる港湾を誇り乍ら県下に於ても未だ後進港たるの域を脱し得ざる状態にあることは誠に遺憾と577

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