女川町誌
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石巻市から更に鉄路女川線、或は仙北バスにより東すれば、万石浦に臨む渡波を経、やがて隣接するわが女川町に入る。行く行く安住・浦宿などの部落を過ぎ、僅か三十分足らずにして女川港に到着する。女川港は三陸海岸随一の良港で、港内広く、海水清くしてまた深く、四時波浪穏かにして風光絶佳である。特に主なる漁場や海洋航路に近く、且つ近来港湾の各種施設が漸次整備して来たので、商漁港としての好条件を具え、港市は著しく活気を呈している。なお近年金華山参拝並に江島観光などの団体の激増と、町内各浜並に雄勝町、牡鹿町方面との連絡船の増加とにより街も港も殷賑を極めている。女川町はかかる環境に置かれて来たので、住民の大部分は主に漁業と水産加工業並に水陸交通業に従事している。その活動の中心地は女川湾に臨む鷲神・小乗・女川・宮ヶ崎・石浜などの市街地である。この地域には町役場を始め郵便局・銀行・警察署・小中学校・東北大学臨海実験所・牡鹿津浪地磁気観測所並に日本水産女川支社・第一第二魚市場・漁港修築事務所・女川商港修築事務所・女川駅・石巻公共職業安定所分室・東北海運女川出張所・出産製品検査所と十指を屈する製氷冷凍会社等がある。その他旅館と湾内外各方面行の船舶事務所などもある。本町の半島部と離島との海岸は、概ね山岳が起伏して断崖絶壁をなしている所が多く、この間に少しでも平地が発達して砂浜などの続く所があると、必ず聚楽をなし、漁船が浜辺に浮んで、恰も南画の様な絶景の漁村が見られ、且つ各浜々は仙境の観がある。されど陸路による各浜々の交通は極めて不便で、僅かに嶮しい山道坂路によつて連絡されている。従つて住民の多くは船舶によつて往来し、物資を運搬している。女川町は藩政時代は女川組と称し、女川浜など二十か浜からなる寒漁村であった。現在の女川の港街をなす大半の地域は、明治末期以来埋立てられた土地である。2

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