女川町誌
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昭和二十年八月終戦となつたが、戦後の疲弊に苦しむ人々も多いので、引続いて保護救済の任に当つていたのであるが、昭和二十三年の国会で、方面委員会は廃止され、同時に新しく民生委員法が生れたのである。此の新法によつて出来たのが現在の民生委員会である。委員は町の推薦によつて県から嘱託を受けて就任する事になつて居るが、其事業内容は方面委員と何等変りなく、ますます暖かい愛の手をのべて、生活扶助や、医療救護は勿論、民生福祉事業の万全を期するために、委員は毎月定例会議を開いて、各部落内の救護者の有無及び異動等に就て協議し、町から町長を始め総務課長や厚生主任が出席してこの協議に参加して居る。昭和二十八年十一月民生委員法の一部が改正され、民生委員が児童福祉委員をも兼任する事になり、愛の手が更に薄幸な児童生徒の上にも及ぶ事となり、事業内容が益々充実して来たのである。委員の任期は三か年で定員は十五人となつて居る。現在委員名(昭和三〇年)民生委員推薦会委員(昭和二八年一一月)石山竜海秋保ゆき木村いつゑ木村寅太郎鈴木庄吉永沼隼人三宅玄雄木村喜助阿部正三宅玄雄木村長作小松留輔遠藤もゝよ高橋白酒井篤松三浦和平直江由美佐藤春雄永沼隼人遠藤民蔵鈴木しん内海哲郎阿部誠一高橋幸治金文雄土井亮治沢村禎治村井徳郎阿部銀治七、その他各種委員会本町には町の民主化と円滑なる運営のため、前述の選挙管理委員会・公平委員会・農業委員会並に民生委員会の外に、左の表に掲げてある様な各種の委員会が設置され、それぞれの任務を以て、地方自治が民主化に運営されている。564

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