女川町誌
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止する指令が次々と出された。更に一方多年の希望であつた婦人参政権が与えられ、日本女性は始めて一個の人間として解放された。その上労働組合の結成を積極的に促すこと、教育を民主化すること、人権を擁護すること、独占企業を排し経済機構を民主化すること等の重大政策も示された。之によつてかつて戦争推進に重大な役をもつと共に、国民の生活に対して大きな支配力を持つていた財閥は解体せられた。また明治政府以来の封建的なものゝ代表となつていた地主と小作人との関係も農地改革の指令によつて農地は解放され、実際耕作している人の手に売渡された。次に新しい選挙法がつくられ、男女平等に満二十歳以上の者には選挙権、満二十五歳以上の者には被選挙権が与へられ、村会議員の選挙によつていた村長も公選となり、昭和二十一年の衆議院総選挙では三十九名の婦人代議士があらわれた、学校も男女共学となり、昭和二十二年に、六・三制という新しい教育制度が実施されて、各町村には義務制の中学校が誕生し、多年さけばれてきた義務教育年限延長の問題が戦後窮乏の真只中に解決し、奇しくも敗戦を機会に実現した訳である。次に国民はどの宗教でも、自由に信仰することが出来、神社神道の特権が廃止され、国政と神社神道とは切離されたのである。又これまで天皇は現人神であるとして、極端に神聖なものとされていたが、之はかえつて政府や軍部の政策に利用されがちであつたが、昭和二十一年の年頭に、天皇は詔書を発して、「平和主義に徹底し教養豊な文化を築いて、国民の向上を計り新しい日本を建設すべきである」ことが述べられるとゝもに「今まで自分を神の様に考えていた事は誤である」と親ら国民に説かれ、天皇と国民との間のつながりは互に人間としての信頼と敬愛とによつて結ばれるもので、単なる神話や伝説によつて生じたものではないと言われた。こゝに神国日本が民主々義日本に生れ変つたのである。557
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