女川町誌
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第五節終戦後の町政一、軍国主義の破壊昭和二十年八月三十日、連合軍司令官マッカーサーが、厚木に着陸し、これから占領軍による政治が始まるのである。連合軍は日本がポツダム宣言を忠実に実行するかどうかを監視するため多数の軍隊を進駐させ、東京に司令部を置き各要地に分散駐屯させた。仙台や矢本に駐屯軍が入り込み、県内を巡視して占領軍の命による政治が行われたのである。わが女川町にも数回アメリカの官憲が巡視に来ている。学校では御真影奉安所を取り毀し、役場学校では関係書類を焼き捨てたり、また町民の中には刀剣類を土に埋めたり、英語の会話に苦労したのもこの頃のことである。占領下政治が始まると今までの旧体制は次々と破壊された。先ず第一に軍隊を解体すると同時に、軍需品や軍事工場が連合軍に接収され、桃生郡の矢本飛行場や女川の防備隊兵舎も勿論接収されたのである。外地にいた部隊は一般邦人とともに帰還を命ぜられた。また戦争犯罪の疑ある人々は捕えられて、連合軍の軍事裁判にかけられて、それぞれ所刑された。戦争責任者や戦争中に極端な国家主義・軍国主義などを唱えた人は公職から追放され、またその様な色彩の濃い団体は、解散を命ぜられるなど、民主々義のさまたげとなる軍国主義的なものはすつかり取除かれていつた。しかしこの追放や解散は、戦時中の職務経歴と一定の枠にはめて行つたものだから形式的で誠に気の毒な人もあつた。ついで今まで政府や軍部のやり方に反対して捕えられた人々の釈放や、思想・学問・言論を制限する法律制度を廃556
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