女川町誌
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第四編行政・財政第一章女川町の行政第一節市町村制の実施一、市町村制々度の変遷明治二十二年二月十一日に帝国憲法が発布され、同日議員法・衆議院議員選挙法並に貴族院令が公布され、翌二十三年七月一日全国衆議院議員の第一回総選挙が行われ、また貴族院議員が選出された。かくて同年十一月廿五日第一回帝国議会を東京に召集した。先に明治十二年三月各府県会が開会されたが、同二十二年四月に至り市町村制が全国的に施行せられるや、次いで各市町村会も一斉に開かれ、所謂万機公論に決する議会政治の御代となつたのである。新に市町村制が広く実施され、従来の連合村が分離或は併合して、新なる市または町村が造られた。かくて曾ての戸長の名称が廃されて市町村政を総攬する者を市町・町長若くは村長と称し、これを補佐する者を助役、会計事務を掌る者を収入役と呼ぶ様になつた。以上の三役は市町村政上の重役で、その下に数名の書記を置いて諸般の事務を分517

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