女川町誌
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店舗を開設して営業を継継した。この年十一月現在の地に店舗を新築したのである。なお昭和三年六月の頃、当時女川町の建設に尽力していた磯村氏の発案で、産業組合法によつて、始めて女川町の庶民金融機関として信用販売組合を結成した。そしてその頃宮城商業銀行の支店長であつた奈良坂直衛氏が同組合長となり、同組合が同二十三年十月三十日廃止となるまで、二十年間も組合長として勤めた。その資金は二十三万円で、会員数七百五十人、払込金額は四分の一であつた。同組合は一般庶民の通商や農業資金並に造船資金等によく利用され、その金融は一千万円にも達して女川地方の金融を円滑にした。二、徳陽相互銀行女川支店本支店は昭和十年頃は宮城無尽会社の代理店として女川町に設け、同十三年には同会社女川出張所として営業した。同十七年四月一日東北無尽・宮城無尽・太洋無尽の三株式会を合併して三徳無尽株式会社を結成した際、女川支店に昇格し、同二十六年十月徳用相互銀行女川支店として現在に至つている。金融は主として商店に貸出しているが、水産加工製造家等にも流通している。支店長外行員十七名三、振興相互銀行女川支店本支店は初め昭和三十年三月二十六日、石巻支店の女川出張所として開業したが、同三十二年六月一日に至り女川支店として独立した。現在女川町女川浜字女川三一二に置かれている。さて振興相互銀行は、昭和二十六年五月、当時の宮城県知事佐々木家寿治氏等の提唱のもとに、県下中小企業振興のため金融の疎通と資本の蓄積とを図る目的を以て、振興無尽株式会社の名称で仙台市国分町に開設したが、翌二十七年五月相互銀行法により現名称に改められたものである。514
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