女川町誌
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発起人とし、資本金二十万円の銀行創立願が提出された。そして河田安照と渡辺幸兵衛が発起人の代理として上京し、第一国立銀行頭取渋沢栄一に会つて、銀行設立について好意ある周到な注意を受け、次の銀行創立願を紙幣局長に提出した。大蔵省に於て調査の結果、明治十一年四月二十六日、銀行創立願は許可された。よつて第七十七国立銀行の名称で、営業開始の準備を進めたが、偶々この年九月に入り第四十六国立銀行との合併が持上り、両発起人より願出の結果許可され、十月十日には合併を広告し、第七十七国立銀行として一本となり、資本金二十五万円を以て愈々発足したのである。開業の祝典を挙行したのは翌十二年一月十六日であつた。七十七銀行が明治十一年に創立してから、同三十一年の国立銀行満期に至る二十年間は、日本経済の封建経済から近代資本主義経済に転回して行つた激しい時代であつた。この間日清戦争を劃期として日本資本主義が次第に確立した。明治三十一年三月、国立銀行満期となつたので、株式会社七十七銀行に組織を変更した。爾来三十六年間、昭和七512
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