女川町誌
577/1094

は先に発行されて来た秩禄公債などと相俟つて莫大な公債の氾濫を意味するもので、同時に当然公債価格は暴落することとなる。従つて当時これを防ぐことが肝要事であつた。華士族は一気に無産となる危険があり、その上政治的不安を激発する心配もあつた。そうでなくとも華士族は単なる金禄所有者となり、即ち遊食の徒となるおそれがあつた。そこで彼等は単なる公債所有者に過ぎなくなるので、公債が売買し得るものであるからには、結局これを喪失する者が生ずる訳である。初期の還禄士族が禄の代りに産業資金や秩禄公債をうけ、忽ちそれを失つて貧窮者となつた事例が目前にあり、その救済授産が考慮されねばならぬ時、更に重ねて全士族を単なる公債所有者とするのだから、豫めこの対策を考えて置かねばならなかつたのである。即ちその対策として公債価格の維持と、その喪失防止とを合せて考慮する必要があつた。かくてこの公債証書を資本として銀行を設立せしめ様という方策が生れて来た。そして銀行設立の条件をも変更し、銀行の設立を大いに助長し、その業務の発展に資しながら、金禄公債の士族授産の役割を持たせ様とする銀行条例の改正となつた。明治九年八月公布された条例の要点は次の通りである。一、資本金は十万円以上を原則とする。二、資本金の八割に当る公債証書を政府に供託し、同額の銀行券を発行する。三、銀行券は政府紙幣と兌換する。四、兌換準備は資本の二割に当る政府紙幣、すなわち紙幣流通高の四分の一の準備とする。以上の様な経緯から士族の為に、特に銀行設立の運びに至るのである。509

元のページ  ../index.html#577

このブックを見る