女川町誌
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本町の商店数三二一は総戸数三、〇八二戸に対し、約十分の一強に当つているが、その割合に食料品小売及び飲食店の多いことは、港街の特色を表わしていると見られる。二、明治時代の商業状況明治維新以前に於ても、物貨の商売取引が行われていたに相違ないが、女川地方に於ては多くの場合、渡波とか石巻の町人に依存していたものと思われる。女川地方に関する明治維新前の商業の明確な記録を欠いているから、主として維新後の商業について訪ねて見ることにする。明治七年の戸籍簿には当時女川地方に於て商業を営んでいた者は、女川浜に一人、竹浦に一人と僅かに二人だけが登録されていた。即ち女川浜二十番屋敷の遠藤長右衛門(文化九年七月生)と、竹浦二十一番屋敷(借)の武内善九郎(文化三年三月生)との両人の外に、村内で商業を営んでいた者は居らなかつた。この二年前の明治五年八月には「農業の傍ら商業を相営候義禁止致し候向も有之候処、自今勝手たるべきこと云々」と農民にも職業の自由が許されたが、この頃は未だ地方民にまで徹底せず、その後相当年数が立つてからのことである。越えて明治十年の戸籍簿には、次の様な人々が登録されている。489

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