女川町誌
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以上の如く本町の工業は、食料品・木材・木製品の工場がそれぞれ一四と七とを数えるのが目立つだけで、他は僅かに一工場づつあるに過ぎない。しかし港湾設備並に漁業加工場の進展に伴い、漸次工業施設の増加を見ることであろう。二、明治時代の工業状況明治七年及び三十年明治七年の女川村の戸籍簿によると、小乗浜二番地借宅に岸直之亟(安政二年三月生)という大工を職とする者が、只一名工業関係者として名が見えている。それから明治三十年に至るまでの間の記録には、之に関係ある記録が見当らないので、当時の工業状況を知ることは出来ないが、同年の記録として「課税標準見積金額」なる次の書類が女川役場に保存されている。明治三十年度課税標準見積金額(工業関係)この頃の当地方の工業関係の職業としては、水産製造業と職工との二種類が含んでいた。そして製造業は魚類海草477

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