女川町誌
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その者に売渡すこと。一、農地の買収、売渡価格は地租法の賃貸価格の田にあつては四十倍、畑の場合は四十八倍とすること。一、買収の対価は一部現金で、他は年利三分六厘、三十年以内年賦支払の農地証券で支払われること。一、小作農の農地代金は現金か、又は年利三分二厘、三十年以内の年賦支払ができること。概ね以上のような要件を骨子として、しかも二か年を以てその買収・売渡を完了するよう措置された。この改革実施によつて地主は小作地を失い、中小地主にあつては全く転落するものも続出した。その波紋は社会問題にもなる程大きく、反面小作人は田一反歩、最高七八百円以下で、畑四百円以下でそれぞれ買取ることになり、半隷農的地位を脱却し、日本農業における劃期的な段階に立つたのである。このようにしてこの町の階層にも非常に激しい大きな変動が見られ、特に当時の国内食糧事情の逼迫から食糧統制の間隙をぬつて闇取引が横行したが米の闇値は一升七、八十円もしたので、丁度米一斗も出さずに田一反歩が買われたことになる実情であつた。こうして農地の買収、売渡そのものは、成功裡に遂げられ一応小作農の大部分は解放されたものの、農地改革による農業の発展、国内市場の開拓、工業の再建という進路が国の経済政策として充分に承認されないで、農業と中小商工業との犠牲の上に重工業を早熟に発展させる方策が再び始められたことや、その後のインフレから、デフレ経済に移行するにつれて、自作農民間に富農の階層の分化が激しくなり、農地改革後の日本農業に新たな課題を提起することになつた。次に当時女川町に於て農地改革の結果、買収された農地別並に所有者別の総面積を表示して見よう。435

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