女川町誌
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経営耕地面積主要農作物栽培面積及栽培農家数(昭和二六年一二月末日農業調査)(昭和二五年農業センサス)(註)経営耕地一反未満の農家を含む。万石浦の干拓の計画万石浦は藩政時代の初期から万石浦と呼ばれた内海で、古来製塩またはカキ・ノリの養殖が行われて来た。そして海は概して浅いので、早くより干拓に着目されて来た。本町の大沢・浦宿・針浜などの部落はこの浦の沿岸にあるので、昭和二十九年に至り、万石浦干拓期成同盟会を組織し、隣村稲井の関係者と共に連名を以て県に対し請願陳情を行い、実測費用の地元負担とし、目下測量をなし干拓計画中である。六、農地改革の断行昭和二十三年三月末以来数回に亘つて実施した農地解放即ち農地改革は、わが国史上に於ける劃期的な農制措置であつた。顧るに明治維新後地主の一方的な耕地の取上げと、収奪的な高小作料に関する農民の反抗は、近代日本の半封建的構成に対する自由民権運動として、明治中期以来盛んになつた。大正末期から昭和初期にかけ、女川地方にもこの運動がひたひたと押し寄せて来たのである。処が昭和二十年八月の歴史的敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾した433

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