女川町誌
475/1094
鰹節の需要の減少、或は四国九州の新物が早春から産出する等の理由で、脂肪分多き三陸物価の声価上らず行悩んでいる。八、小女子と鰮小女子は鮮魚としての遠方輸送はないから、豊漁の際は加工業者と工員は少なからず潤う。鰮とサンマは遠距離輸送もするが小女子は鮮度落ちやすく、従つて加工業者の手にかゝる率の多い魚類であるから、比較的一般町民に喜ばれる魚類であるが、鰮は昭和十二三年頃より減少し殆ど絶えた位のものであつたが、近年また珍らしい賑いを呈している。九、動きつゝある加工業その一、鰹節資本金多く製品がながく動かない。それに製造工程も改良を要するではないかと言われる。その二、圧搾サンマ及び粕など皆太陽による自然乾燥であるが、これを機械化して敷地も少く良質の製品とせねばならないという意見が高く、永沼隼人氏はその先駆者となり昭和三十二年より小規模ながら着手している。その三、罐詰業者も、加工業者も冷蔵庫を建設し、季節的工業を長期化・終年化せんとする傾向になつて来た。一〇、以上は主として企業的な漁業であるが、沿岸の零細漁業振興策も近年動きつゝある。(イ)牡蛎の養殖は、大沢の阿部善治氏の如き先駆者があつて、万石浦に、昭和八年垂下式養蛎法を起し、東北大農学部の女川水産実験所では今井博士の指導で筏式垂下養蛎を始め、この方法は町内の各浜に殆ど普及したが近年特許による樽を連結する垂下式が、ポツポツ行われて来た、これは風波に強いといわれる。更に博士は牡蠣の品質改良に努力されている。(ロ)ホヤの養殖は末だ試験の域を脱しない。407
元のページ
../index.html#475