女川町誌
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実験により船員に危険もあり、又その海域の鮪が原爆のために食糧として締出され、濠洲附近は一応引揚げている部分もある。又鰹と鮪とを兼ねている漁船もある。これは鰹か鮪の漁をして終ると九月からサンマ漁に切り替え、又冬季から早春にかけて鮪類の漁業に移る船である。次に独航船と称して五月頃、北洋鮭鱒船団に加わつて行く船は、八月末帰港して九月からサンマに切替え、サンマが終ると更に北洋の鱈漁に行くもの、或は支那海のサバ一本釣りに行くのもある。六、最新の計画に成るマグロ船は、冷凍・冷蔵設備がよく、従つて鮮度も高く恰も生きたまゝの如くであるという。航海の方は電探の進出著しく、如何なる濃霧吹雪と雖も半径三十浬はテレビを見るが如くあらわれるから全く危険なく、而かも船長が舵手であり機関士であるように出来ている。通信は何千海浬の遠洋船と通話が出来るということである。斯様にして女川町の漁船も全国の漁船と共に、七つの海を自由に往来出来るのであればよいのであるが、大勢は諸外国の各方面より漁場に於いて、鮮魚に於いて罐詰に於いて、圧迫を受けつゝあるのが昭和三十四年春の現況である。この点につき大型船漁業者の神経は敏感になつている。七、サンマ業者と鰹節加工業者サンマの資源は学者の研究でも無尽蔵だと云われ、大衆魚として漁業者にも消費者にも喜ばれているが、それにしても不漁の年と大漁の年はある。然るに現在までは大漁の年には魚価暴落により業者が大赤字になやむことがある。漁業者は政府に対しこれが対策を切望し、また漁獲自制も試みている。又鰹節製造業者は、新年にかけて値上りの時季に手離すようにして来たので、資金の長期不動や調味料としての406

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