女川町誌
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年出漁し女川の住民も参加している。そしてその漁獲物は日水女川支社に来て、鮮肉として市販もされ罐詰にもなるから、この問題は日水に働く多数工員にも町民にも町の財政にも関係がある問題であるといわねばならない。 二、支那海のサバ一本釣、これにも最近女川から出漁船がある。従つて韓国の李承晩ラインも、日中漁業問題も出漁船が多くなれば関心も高まつて来る問題である。 三、最も身近に迫つている問題は、北洋の鮭鱈漁業である。明治時代に日露戦争の結果として、沿海州・樺太・カムチャッカ方面に於ける漁業権益の獲得は実に莫大なものであつたが、大東亜戦中は全く放棄の姿となり、終戦後次第に国力を回復し、漁船も続々建造されて北洋漁場にも出漁を開始するようになつた。すると昭和三十一年三月ソ連より北洋のサケ漁獲制限を布告された。未だ日ソ講和条約が結ばれないこと及び敗戦後の国力を以つてしては強力対等の交渉も出来ず、日本よりモスクワに行つての交渉は一方的の拒絶に逢つたような恰好で、容易にまとまらず出漁期が迫つて来るので止むを得ず、鳩山内閣総理大臣が不自由な身体にも拘わらず、自らモスクワに飛びソ連当局と直接交渉をして一応の日ソ漁業条約が五月十五日締結せられ、我が国の船団は直ちに出航したが、制限された漁獲量は独航船の制限となる、急激に伸び始めた北洋漁業はこれを契機として毎年の交渉は次第に漁獲量を少くせんとし、難航に難航を重ね、三十四年も亦科学的な両国の討議と交渉が容易に結論に到達しそうに見えない。 四、一方アラスカ沖ベーリング海の漁業区域は先に日米加三国の協定が出来て居たのであるけれども、日本の区域を圧縮せんとする世論両国に高まつていると報じられている。女川町の漁船も無論この海域に出漁しているのである。 五、女川町の漁船には遠洋鮪専門の船がある。これは終年鮪漁専門にやつてる船で、大体二百屯から四百屯位で西は印度洋西部マダガスカル附近更に大西洋まで、南は濠洲附近の海域まで自由に驥足を伸ばして来たが、米国の原爆 405

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