女川町誌
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を調査し、且つ資料を再検討して之が調整と編修とに当つた。この間、専門委員の相沢清六氏には終始一貫各種資料の蒐集とその取纒めとに誠意御協力を相煩したので、御陰様を以て兎も角も体系ある一巻の町誌として刊行する運びに至つたのである。 元来、女川町は昔の女川組二十浜からなる古い歴史と、広大な海陸両面の地域とを有つている地方なので、その史実もまた広汎にわたつている。特に明治以後に於ける漁港・商港及び軍港としての築港問題とか、三陸沿岸の一大漁場を控えた女川の漁業問題などは、他地方に於てその類例を見ない程の重要にして切実な地方開発問題であつた。従つて該方面に関する貴重な資料は極めて豊富なので、自ら之が編修に当つては、築港と水産とに重点を置き、更に教育女川、観光女川等に着眼して編修を進めた。なお頁数の許す限り、各方面の史実や現況等をも採録することに努めたのである。 思うに地域社会即ち郷土の研究調査が進むにつれ、郷土の事実が次第に明らかになり、郷土人の郷土に対する関心もいよいよ高まり、また郷土愛の念も強くなり、同時に国土に対する理解も追々に深くなつて行くのが人情の常である。噆越ながら女川町誌の刊行により、之を通して町民の郷土女川に対する認識が一段と深まり、町政といわず、築港・産業・教育・観光といわず、今後益々郷土に対する関心が高まり、やがて郷土女川の将来の在り方等にも思いを走らせることになるものと推量される。 かような意味に於て、町民が町誌を有つということは、町民の一つの幸福で、心にその拠り所を得る 5 5
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