女川町誌
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大多数は一トン未満の無動力漁船を駆使することによつて、やつとその多数家族の貧困な生活の基盤を支えつゝ、一方では協同経営という形によつて、五トン未満の動力船による近海漁業の方向へ、また第三には大型漁船による遠洋漁業との私経営的発展によつて漁業賃金労働者としてという三つの方向に進んでいるといつてよいであろう。このことは昭和二十七年度の女川魚市場の月別水揚量を見ると非常に興味をそゝられる。二十七年度の総水揚量並に総金額に対する月別の比率曲線を見ると、一、二月から四月までの冬期五か月は水揚量においても金額においても非常に低い。五%以下である。ところが鰹の期節に入る四月中頃から水揚金額は急速に上昇して七・八・九・十の四か月では最高に達し、年間総水揚金額の約六〇%に達する。この事実は鰹及びサンマの近海漁業が総水揚金額の主体を示めていることを物語るものである。しかもこれらの漁獲は六〇トン―一二〇トンの大型動力漁船によつて獲得されるものと考えられる。月別の比率曲線にはこの曲線に交つゝA・B・Cの三つの直線が引かれている。Aは一トン未満の無動力船による磯漁業を表徴するものであり、Bは鰹の期前に五トンの動力船を共同の形で運営し、爾余の冬期間は一トンの無動力船によつて沿岸漁業を営む漁夫群を表徴し、Cは四月から十一月までの期間は六〇―一二〇トンの大型船によつて鰹サンマの漁業に従事し、十一月から三月までは二〇トンの中型漁船によつてサメ網を行うもので、このCは女川における最も進歩した漁業経営方式を表徴している。このA・B・Cの三つは女川漁業昭和二十七年頃のの現状における資本的形式を表徴するもので、女川漁業発展の歴史的な一段階を示すものである。一トン未満の無動力船が圧倒的多数を示し、いわゆる「サッパ漁業」として漁民生活を支えている基本的な漁業様式であることを念頭におく必要がある。この「サッパ」の漁夫は互に相かたらい合つて、乏しい資金を集めて五トンの動力船を作り、それを共同経営の形に盛り上げ、鰹のシーズンだけをこれによつて稼動する。これがBの漁業様355
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