女川町誌
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かくて新魚市場は女川町魚市場と称し、開設権者に女川町、業務執行者は県漁連女川支所として、昭和三十二年七月十五日業務開始、八月四日落成式を挙行したのである。第四節女川漁業の生産組織一、無動力船時代女川町の記録によると、大正の初期即ち大正四年以前の時代に於ては、女川町の漁船は全部無動力の和船型の船が使用されていた。そして大きな漁船でも精々一〇―一五トン、二本帆柱・十二丁櫓・一五人乗で、船の動力は全部人間の筋労力によつたのである。是等の船は主として鰹漁船で、大正四年にはこの型の船が二十八隻あつたと記録されている。出漁は一昼夜で、今日のように三日―一週間というような、やゝ長期の出漁ではなかつた。一昼夜の出漁で漁獲は凡そ二千尾で満船となつたといわれる。漁獲物はすべて自家加工にされていた。大正五年になつて始めて漁船に動力が使われた。一度動力化が始まるとそれは急速に普及した。この動力化は先進動力化地帯である三重・和歌山の漁船の動力化に刺激された結果であると見られている。この動力化には相当の資金を必要としたが、その資金はそのほとんどすべてが石巻の漁商、あるいは個人金融業者から融通されたといわれる。従つてその返済は漁獲物によつて為される契約が結ばれていたのだから、水揚額の大部分は動力化資金の返済に廻さ352

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