女川町誌
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編修者の言葉 近時、地方誌や事業史等の編修が、全国的にもまた地方的にも、各地に於て盛んに行われている。この傾向は国家再建の途上にあるわが国の現状に於て、真に望ましい事実である。特に終戦後の中央・地方の実情を顧みる時、国土再建に精進する国民の真実な態度として、過去の歴史と地域社会の実態とを明確にし、之を深く認識しようとする努力は、国家社会の進展上極めて意義のあることであると思う。 さて女川町誌の編修が計画され、之が発足を見たのは、昭和二十七年四月のことである。当時女川港はいよいよ本格的に漁港・商港として脚光を浴び、魚市場の建設、県道の改修、臨港線の敷設、上水道の施設並に港湾都市の街路整備など、着々として港市の充実と拡張とが進められ、女川町興隆の曙光が見え初めた時代であつた。その頃、私は県立図書館復興関係の用務で、屢々女川地方を訪ね、新進気鋭の木村主税町長始め、町当局の方々と親しく御会いする機会があつたので、町誌の編修には及ばずながら協力いたすことを誓つたのである。 その後、編修事業は、当時専門委員にあげられた相沢清六・鈴木喬の両氏により、主として調査研究が一歩々々進められて来たが、三十三年四月に至り、是等の多くの調査資料に基き、更に編修を刊行にまで進めることを私に委嘱されたのである。爾来、私は屢々地元女川町を訪ね、努めて現地に於て実情4
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