女川町誌
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三、戦時下の漁業⑴統制下の漁業食糧問題は漸く戦時的色彩が濃厚となり、国民食糧の充足、増大する軍需の供出、更にまた輸出水産物として外貨の獲得、東亜共栄圏の建設物資として時局柄重大なる役割を遺憾なく果すためにも、漁業生産の維持拡充は寸時も忽せに出来ないことであるが、かくも増産要求の盛なるに拘らず、支那事変発生以来の漁獲高(汽船捕鯨・母船式捕鯨・蟹及鮭鱒外地露領を除く)は沿岸海洋両漁業とも減少の一途を辿り、事変前の昭和十一年度総生産高約十三億九千九百万貫に対し、翌十二年は七・五%減、十三年は一四・八%減、十四年は一五・九%減と逐年減少している。これが原因はなかなか複雑であるが、直接の原因を一瞥しただけても出漁船の減少、生産資材の獲得難、漁業労働力の不足、漁船の質的低下等の悪条件が山積していることがわかる。しかし価格は著しく昂騰し、十四年は十一年の約二倍に相当している状態であつた。水産業者の数にしても昭和九年以来常に百五十万人を突破していたのが、十三年に入るや百四十四万人、同十四年には百四十一万人、同十五年には百四十二万人と約十万人の減少を示し、漁船数も三十六万隻台にあつたのは昭和十二年を最後に、十三年は三十五万六千四百余隻、同十四年は三十五万四千七百余隻、同十五年は三十五万四千二百隻と略々一万隻に近い減少となつている。沿岸漁業につき農林統計の示すところによれば、昭和十二年の七億二千六百余万貫に対し、同十三年は六億四千六百余万貫(昭和五年以来の凶年)、同十四年は約六億六千万貫、同十五年は六億六千七百万貫と稍々盛り返したが、退勢は容易に挽回の見込がない。これは漁況の豊凶という自然的条件の影響よりも事変後沿岸漁業に加重された戦時336

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