女川町誌
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半数以上であつた。同三十八年には一〇四人中の四一人が五十集商で、そしてこれらの漁業関係者はみな問屋を要求したものである。⑻魚類製造場の設置前掲の勇蔵日記によれば、水産製造業は古くからあつたと見える。此所には一例として明治二十一年頃横浦の木村慶五郎氏の願出による魚類搾粕油于魚製造の次第を左にあげる。これによると先にも製造していたが、法令の改正により更に届出た様に見られる。この外にも村内に数人あつたと思われる。326

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