女川町誌
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⑷荷宿の出現其頃荷宿と言うものがあつた。明治四十年頃には大きい荷宿は約十軒ほどあつて多くは旧家で財産のある人々であつた。木村忠吉・木村忠八・木村酉吉・同八之亟・同豊治などの諸氏が鷲神より、女川からは丹野吉郎治・同貞蔵・平塚源治などの諸氏が出て、買い集めてこれに当つた。また是等の荷宿は頼まれて米など買つてやつた。一俵石巻から運賃は十銭であつた。年末など一度に五十俵位買つてやる場合は仲々苦労したものであるという。これ等の人々は問屋がでるまで続いたが問屋がでてからは製造家になつたり仲買人になつた。324

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