女川町誌
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採用し郵便局の外に切手売捌き所を設け、またポストを設けることにした。当時は地域的には東京・大阪間と、その沿線四、五里以内の地域に限られていた。 四年の十二月には早くも西は長崎まで延長し、翌五年七月には大体全国に亘つて郵便網が完成された。同七年一月には琉球にまで延長したのである。明治六年四月にはこれまで距離制になつていた郵便料金を全国均一制に改め、翌五月には郵便事業の民営を禁じて政府の専業とした。 二、女川町の通信事業 仙台に初めて仙台郵便取扱所の名称で、後ちの仙台郵便局を国分町に設置されたのは明治五年七月のことである。その後同八年一月仙台郵便局と改称して南町に移転した。開設当時の郵便料は始め里計算で、二十五里を単位とし、一個二銭、東京まで八銭、長崎まで七十二銭であつたという。 女川に郵便局を始めて設置したのは、明治十二年二月十日であつた。そして同二十一年十一月には貯金を、二十二年には為替を、四十一年に至つて電信が開通した。更に大正五年には保険を開始し、同十五年十月三日よりは電話の開通と年金事務とを取扱つた。越えて昭和十三年には江島に電話を架設し、同十五年には出島にも同様架設した。その後十九年に竹浦・桐ヶ崎、二十年に尾浦、二十一年に御前浜、二十二年に横浦、二十九年に五部浦全部に電話の架設を見るに至つた。 是等郵便・電信・電話等の通信施設は、特に交通の不便な各浜や離島にとつては、大なる福音であつたのである。更に近時のラジオやテレビの普及発達によつて、昔の女川組二十か浜時代の各部落は全く隔世の感に堪えないものがある。 302

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