女川町誌
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のであるから驚く。玆に福田氏は昭和八年先進地清水港を視察した。そして大いに得る所あり帰途直ちに品川においてレール・ワイヤー・発動機の三つを購入して宮崎の造船所に取りつけたのである。当時はワイヤーというものも女川にはじめて来たので、見る者その強さに皆驚いたものである。さていよいよ取附も終り新式による漁船の揚陸となつた。これまでは、首まで入水して引き揚げたのが豈図らんや草履ばきのまゝ陸上に居て発動機さえ動かせば、人手もほとんどかけず船舶がスルスルと引き揚げられてくるではないか、見る人々の驚嘆もさることながら福田氏の喜びと誇らしさとは、終生再び味わうことが出来まいといつていた。石巻の造船業者もこの装置を見て翌年鈴木造船所が据付けたというのだから、当時の女川造船所の立場否福田氏の先見の明と功労を考え、また女川に造船所なるものを創設した辛苦と努力とを省みると、福田寿助氏は女川港開拓者の一人としてこの町誌に一ページを飾るべき企業家であるといつてよいと思う。 第六節 其他交通機関の発達 一、人 力 車 人力車は明治二年頃、東京の人和泉要助・高山幸助・鈴木徳次郎等によつて、発明されたといわれている。之がこれまでの駕籠などに較べて非常に便利であつた為め、急に発達して翌三年には東京市内だけでも二万五千台近くに達したという。 その終わが国各都市はもとより、東洋の諸国にも輸出され、人力車はわが国の名物の一つに数えられるようになつ 295
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