女川町誌
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三、造船所の創設 女川に於ける造船の沿革と云つても、古い時代のことは別段書くべき程のことはないようだが、大正四年植木佐五郎氏がやき玉二十馬力十九屯最初の甲板張りの鰹漁船を、寺間の小坪に於いて造つたのが一エポックをなしたものということが出来る。その際請負人は二十六才の福田寿助氏であつた。福田氏は大正型というものを造つて見たいと常に野心に燃えて居たので、植木氏を説得し水産試験場黒木技師の意見を尋ねて設計し、県及び農林省の補助をももらつて当時最新鋭の鰹漁船天赦丸を完成したのである。時の農林大臣は河野広仲氏で国費補助六百円、県費補助二百八十円これが女川としては機械漁船の嚆矢である。しかし今の小型船の如く梶は和式で手で動かし、船長は舵手と機関手に別々に直接命令するようなものであつた。当時職工賃一日三十八銭、総工費機械共八百八十円であつたが、昭和三十年頃この程度の造船をするならば百八十万円位はかゝるであらうということである。同年同型同屯同馬力で、大浜 293
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