女川町誌
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し、陸には「スレート」硯材石盤及木材薪炭の生産額巨多なりと雖も、未た以て充分なる発達を為す能はさる所以のものは、主として交通機関の設備なきに職由せり。先年英国及露国の軍艦入港したることあり、今又我サガレン派遣軍の出発地点となされたる以来、漸く良港にして国家有事の際枢要の地たるを認めらるるに至ると雖、未た鉄道の設けなきは誠に遺憾に堪へさる所なり。政府も亦此に見る所あり、第四十四、五議 会に鉄道敷設法案を提出するに当り、松島女川間鉄道を線路網内に加へられたるは誠に時宜に適したるものと謂ふへし。次に三陸沿岸鉄道に関しては本県会より再三意見書を提出し政府も亦其の必要を認め、大正十二年度より着手せらるるの議ありと、果して実現せらるるに至ては本県産業の発達に資する実に大なるものあるへし。唯た夫れ三陸沿岸といひ共に商業の中枢は石巻町にして、石巻町を中心とし物資の集散行はれつつある現状なれは本鉄道を敷設するに当り、石巻町を起点とし三陸沿岸鉄道と共に女川鉄道を同時に起工せらるるに至らば、工事費の軽減せらるるは勿論、本県沿岸産業発達の調節を計り、益々其の大をなすへきものありと信せられ候間、民意の存する所速に御採択被成下度奉請願候恐惶頓首。 大正十二年一月二十三日 石巻町及各有志 女川村及各有志 貴衆両院議長 内務大蔵各大臣宛 以上二通の請願書が石巻・女川両町村の緊密なる関係を物語り、次の往復文書は石巻の指導的地位と両者の提携情況を知るに大切な文献につき繁をいとわずかゝげる。 当時の往復文書 大正十二年一月六日 石巻町長 武 山 一 郎 女川村長 松川 豁 殿 女川松島間三陸沿岸鉄道速成請願書、本月中旬貴衆両院に提出可致候条、左記事項御了承の上別紙様式に依り貴村内有志の記名調印を求め、来る十三日まて到着候様御送付御取計相成度此段得貴意候也。 283
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